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素人バイクレーサー岡本倫治のブログ

40過ぎてサーキット復帰したおっさんです。

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年齢を重ねるということ

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私は今年43歳

要するにおっさんである

いわゆる「もう年なんだから・・・」と言われる世代

いい年こいて、やかましいバイクでぶんぶん走るというのは世間的に見ていかがなものだろう?

自分が少年の頃、今の年齢の自分を想像できただろうか?

いや、想像できる人が果たして存在するのだろうか?

自分の中で何があの頃と変わったのだろうか?

いや、大して変わらないのだ

変わったとすれば、世界は自分中心に回っているのではなく周りの人々にも感情や都合があり

そして生きていかなければならないための生活があるということに気づいたことぐらいだろう

自己中心的なガキの頃からの違いといえば、要するに社会で生きていくための方法を少しは学んだということぐらいだ

内面において、その他の部分は大して変化が無いように思えるのだ

わがままなガキ大将にムカつき歯を食いしばっていたあの頃のくだらない自分は相も変わらず自分の中に存在している

今のような私があるのは、世間様(あるいは社会といってもいいと思う)が私にそうあることを強いるからである

本当はこうしたい。でもこう思われたくないから仕方ないからこうする

という類の複雑な絡まりあいの中で生きている

これはコミュニティーの中で生きていく上で必要であり大切なことでもある

しかし、問題は時としてこれが度を過ぎてしまうことである

「どうせ・・・なんだから」

何かにチャレンジしようとしている、あるいは新しい考え方をしようとしている個人にとって、これは強力な破壊力を持つ言葉だ

かなり以前に話したことがあるが、まだバイクに乗りたての頃・・・

アルバイト先の先輩にレースをしたいと話したところ、皆さんのご想像通りの答えが返ってきた

「やめときなって、あんなのは特別な才能がある人じゃないと無理だって・・・云々」

その場にいた全員がそう言った

別の例も挙げることができるだろう

去年の夏、私はピアノを始めた(しかも独学)ということを告白したと思うが

職場の人はそれを聞くと、噴き出して笑った

彼らの言いたいことはよく分かる

「いいおっさんに似合わないよ」「どうせ続かないでしょ」云々

これらは、悪意のない実害だ

彼らはご親切にもこれから訪れる苦労を取り除いてくれようとしているのだから

かくして人々は新しいチャレンジを恐れ始める

年齢を重ねると失敗も数多くしてきているだろうから、その経験からも新しいチャレンジを恐れる

人々の意見は参考にしてもよいが、受・け・入・れ・て・は・いけない

ただし、「努力は報われる」これはウソである

これは<成功した人>の話だからだ

失敗した人の話は決して反映されない

話は単純だ。世界一を目指すと成功する人は極わずかで、その他の人々は全て失敗する

対外的に成功を求めるから「失敗」する

話が逸れた、、、

例えば、今鈴鹿の東コースで1分を切れないとする

私には才能がないのだろうか?

本当にそうなのだろうか?

新しいパーツを付けたら切れるかもしれない。それもいいだろう

まず自分自身に問う

なぜ「1・分・を・切・れ・な・きゃ」いけないのか?

誰がそんなこと決めたのだろう?

結局のところまともな根拠などどこにもない

例えば、同じバイクに乗るあいつが55秒で走っている

5秒も違うと世界が全く変わるので、想像することは難しい

ただし、自分より1秒速いだけのアイツの走りを盗むことは可能かもしれない

近いレベルの世界はある程度イマジネーションで補うことが可能だが、違いすぎる世界のヴィジョンを持つことはかなり難しい

私ならどうやっているのかアイツに聞くだろう

どこでブレーキをかけているのか?

何速であのコーナーを曲がっているのか?

アクセルはどこから開けているのか?

どこを見ているのか?

・・・

1秒縮めるのに1年かかっても2年かかってもいいのだ、

1秒速くなったら、次の1秒、そして次・・・そうやって速くなっていく

途中で辞めてしまえば失敗のまま終わり

乱暴な言い方をすれば、10年も続けていれば誰でもある程度速くなる

世界トップクラスで活躍するライダーの大半は物心付いたころからバイクに乗っているのだ

17~18の頃にはすでに10年のベテラン

速くなって当然であり、彼らが特別なわけではない

私がもし速くならないとしたら、チャレンジの仕方が根本的にどこかおかしいと断言できる

そして大事なのは、もちろんタイムではない

こうやって成長していけばいつか勝手に速くなっていく

できるようになった時の楽しさといったらこれは最高だが

なによりも、行為そのものが楽しいのだ

バイクのそれは格別なものがあるが、最近はピアノも楽しくて仕方が無い

練習のつらさなど微塵も無い

こうして学んだことは、他の世界に適用することができる

例えば私の場合、ピアノの他に、語学を学ぶ際にも適用した

その他仕事にも使えるだろうし、例を挙げれば枚挙にいとまがない

20代にして腹が出たおっさんや、よぼよぼの爺さんみたいなヤツもいる

その一方で30、40になってもガキのままの精神構造だったり様々だ

(自分のことは棚に上げていることは言うまでもない)

年齢というのはただの数字である

年齢を理由にするのはただの怠惰である

そして、失敗や怠惰は仲間を求めている

天の川.jpg

皆何かに飢えている

少年の頃と何も変わらない

何に飢えているのだろうか?

気がついたらこの地球に生れ落ちており、この奇妙な人生というものを毎日繰り返している

知ったかぶりの専門家達が宇宙や世界や人生など様々なことがらについて語るが、この人間というやつはなんなのか彼らにより解明されたことは一度も無い

ようするに私たちは自分自身について何も知らない

「自分自身」について知りたいという欲求があるならば、それはおそらく最も正常な欲求に違いない

真理についての話は別に譲るとして、何事かについて自分自身に制限を設けることはいかがなものだろうか?

もちろん他人に迷惑をかけるのは論外だが、私自身を妨害するものの正体は何なのだろう?

年齢を重ねたら人生の可能性はどんどん減っていくのだろうか?

もちろん重い疾病を抱えてしまったらハンデにはなるだろうが、それは若者にも言えることだ

100m走の世界チャンピオンになろうというのであれば年齢はおろか体格などにも恵まれる必要があるが、私のやりたいことはそういうことなのだろうか?

年齢を重ねたらどんどん運動神経は鈍り、腹が出て、腰が痛くなっていくのだろうか?

まるでそうでなければいけないかのように・・・

思考は現実化するという言葉があるが、そう思い込むことで自分自身を「おっさん」にしていないだろうか?

人生もう落ちていくだけと勝手に思い込んでしまっていないだろうか?

おっと忘れてた

今年も一年ありがとうございました!

来年もよろしくお願いいたしますわーい(嬉しい顔)

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